PHOTO俳句ブログ

カテゴリ:ショートストーリー( 2 )


8月15日 土と生命力

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創作コミュニティの課題「土」に添って書いた内容です。投稿サイト「ノベリスト」にも掲載しています。


  土との触れ合いがどれほど人間の生命力に影響しているかを、田舎で育った私に証明してくれた人物がいる。
その人は私が中年になるまで居た村落のお婆ちゃんで、名を花江といい、まことに若々しい名前の持ち主だ。
ふしぎなことに、花江の印象は私が物心ついたころから90歳あたりまで少しも変っていないということである。
90歳を過ぎたころからさすがに腰は曲り、顔も皺だらけになっていたが、耳が遠いふうもなく人との会話でも的確な対応ができていた。


私は小学生から高校にかけてずっと花江に好感をもっていなかった。
噂好きという風評以上に、花江の親族が我が家に或る因縁染みた恨みを持っていると聞いていたからだ。
ところが、私に次女が生れてから保育を担当することになった叔母が花江と親しくし始めた。
そのきっかけは花江から宗教を勧められてからのようで叔母は毎日のように赤ん坊を乳母車に乗せて花江の家に行っていたらしい。


次女が幼稚園に入学するまでそれは続いた。
私は自分の子供がお世話になっている花江の家族には感謝をするようになっていった。
花江も私には丁寧な言葉で話しかけ、私には優しくて良いお婆さんという印象をもたせてくれた。

あるとき花江が息子夫婦とは別棟の小さな小屋ふうの住居で自炊をしていることを知った。

そのころである。花江は乳母車に野菜を積んで私の家にも売りに来始めていた。かれこれ90歳に手が届くほどの年齢だった。

野菜はどこから仕入れているのかと尋ねる私に、花江は自分のうちの山の畑で作っているのだと説明した。何を主に食べているのかという質問には、地元で安く手に入るいりこをだしにして菜っ葉を炊いて食べよります、と言った。だしのいりこも一緒に食べていたらしい。

成長ざかりの子供や他の家族も居たので、肉や魚料理にばかり気をつけていた私は蛋白源である小魚と野菜だけでかくも長寿でいられるのかと驚いたものだ。


その後花江は100歳を超え、市の長寿者として表彰されたのを市の広報を見て知った。素晴らしい生活をしてきた花江のことを蔭ながら誇らしく思い感動した。

花江を長く生きさせたのは「土」であった。

腰が曲がるほど年をとっても毎日畑を耕し野菜を植えて暮らしていた花江。また少しの収穫を売り歩き人との交流も忘れなかった花江。信仰を通じて叔母と親しく付き合ってくれた花江。


次女は友達と交わるのが苦手な内気な少女だったが、花江の家族のお蔭で小学校に入学するまで楽しく過ごすことができた。
その家に守りを頼んで毎日来ていた同年の女の子と遊べたからだ。

その後叔母が呆け始め、次女にもいろいろなことが起きて花江の家族とは付き合いが疎遠になったが、あの頃の恩を私は忘れてはいない。


花江が亡くなったとき息子の訃報を聞いたときもお参りに行って奥さんと話をした。私が電話の一つもかけなかったことを、あれは気が利かなかったねと言われた。
花江の内孫二人は立派な大人として健やかな家庭を持っているようで、花江の家族はこの先もしっかりと地に足をつけた歴史が刻まれそうだ。



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by kei9594wa1576 | 2015-08-15 15:18 | ショートストーリー | Comments(0)

8月9日 私の菩薩

ブログの趣向を少し変更して、色々なジャンルの作品を順次掲載していきます。今回は「小説」です。投稿サイトノベリストに掲載した創作コミュニティの課題「仏」に添った内容です。 


※※※※※

 お盆も間近な日盛りに私は転寝をしていた。どれほどの時が経っていたのだろう。突如こそばゆい感覚に刺激された。何かが私の脇の下をこちょこちょとくすぐっている。蝿が止まったような気がして無意識に手で追っ払う。再び眠りに入ると今度は足の裏をこちょこちょとする。さすがにはっとして私は目が覚めた…ような気がした。


 ぼんやり眼を開けると三つの優しい影が私の顔を覗き込んでいた。優しいお顔だ。私はそれが誰だかわかった。仏様だ。観世音菩薩と不動明王ともう一つはよくわからない。

 私は幸せな気持ちになった。目が覚めているようで実は覚めていなかった。其の影の一つは10年前に天国に召された母で観世音菩薩の姿となっていた。もう一つは不動明王の姿、いかつい形相だが家を守ってきた我が家の主だ。天に逝ってから生前敬愛していた不動明王の姿になっているとは、あちらで幸せに暮らしているにちがいない。

 もう一つは何菩薩かわからない。何しろ50年も前に出会った人の再来で、私にさんざん懺悔して突如あの世に逝ってしまったのである。でも私を囲む三つ巴の中にちゃんと位置している。

 この菩薩たちはこれからもずっと私を見守り続けてくれるにちがいないと私は信じているのだ。苦しいことがあれば心の内でこの菩薩たちに縋ればすぐに助けに来てくれる、いつなんどきでも、どこへでも。


 彼らがあちらの世界に行ったあと、私は彼らに救われたことを実感する機会に遭遇していた。何か異変があったときのその結末はきっと彼らのお手配だとすんなり信じられるのだ。お手配だからこれで良かったんだと。


 今日は午睡中に出会えて良かった。いつもは姿は見えないけれどなにかしらその気配を感じていて、幸せな気分のときはただそれだけで良い。とても悲しいことがあると彼らのお手配を感じる。


 仏などこの世にいないというやからがいるが無神論とかの問題ではなく、生前自分を愛してくれた存在は守護神となっていつも自分を守ってくれている。 愛とは自己と他者との繋がりの化身である。



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by kei9594wa1576 | 2015-08-08 23:16 | ショートストーリー | Comments(0)