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カテゴリ:エッセイ( 3 )

恩を感じる人

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普段忘れていてもふっと昔のことを思い出して感謝の念を新たにすることがある。

特に自分が小さかったとき、私の場合母がいない期間があって、そのときその事実を誰も知らないことをしてもらったことがあり、そのことを思い出すとあのように小さい私にあれほどしてもらったと、自分が年をとり相手が弱い立場になっておられるとき、恩返しをしたい気持ちになるのである。

そういうひとが私にはかなりいるような気がする。自分の感謝の気持ちを充分に伝えられることを何一つしていないことにも思い至るのである。

その人たちが生きておられる間に少しでもと思ったりする。人のいのちは思いがけないほどあっけなくて、突然身内の方から訃報が届く場合がある。

おとどし我が家に立ち寄って下さったご家族から先生の訃報が届いたのは去年の秋だった。息子さんの運転する車の後部座席から泣きそうな顔をして手を振られた姿が目に焼き付いている。

これが最後になるかもしれないとふとそんな気がしていた。でも会えて良かった。心残りのないように人と接しておきたいとしみじみ思われる今年の秋である。



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by kei9594wa1576 | 2015-09-08 15:18 | エッセイ | Comments(0)

或る日のエピソード

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久しぶりに神戸の街を歩いた。
明石の海と六甲山の間に位置している街は縦横に道路が通っているのでわかりやすいよと最初に教えられてはいたものの、やはりよそ者にとってはその感覚がつかめない。

海から山に向けての道路はかなりの海抜が感じられて、足腰の弱い私は徒歩では僅かの範囲でしか行動できないのだ。

昨日の日曜にはピザやと、道を挟んだテレビで紹介されたというパン屋さん、それに一番時間をかけた或る建物に入った。
その建物というのは昭和の小学校を改築して作られた、いわば小さい店の集まった商店街のような作りで3Fまである。なにしろ学校の面影を壊さないように作られているので階段などは自分が通っていた学校のことを彷彿とさせるものがあった。

2Fは体験教室がずらりと並んでいて、その中のひとつ蝋を使った細工の店に入った。器の中に好みのグッズを浮かべて蝋を流し込む作業である。なにしろ狭いので座席が空くまで小一時間の待ち時間があり、その間街に出ることになった。

訪ねたのは例のパン屋さん。ショウウインドウもなく、まるで隠れ家への道を入って行くように看板のかかった通路を通って入口まで辿り着いた。
重々しいドアを開けると、そこにはできたての匂いのようなパンの陳列が目に飛びこんだ。客はいとも行儀よく一列にならんで、好みのパンをあれとかこれとか聞こえないほどの声で選別している。

オーナーさんと奥さんはパンの説明に余念がなく、それを聞いて好みのパンを指しトレーに入れてもらう。まことに時間のかかるパン屋さんである。

けさ朝食に残りの一つを食べたがしっとりとしてとても美味だった。パンを買うならあの店だねと昨日の手間は忘れて途端に株が上がった。
おいしいものは安易には手に入らぬのが世の常ではある。


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by kei9594wa1576 | 2015-09-06 12:50 | エッセイ | Comments(0)

8月17日 山のあなたの空遠く

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山のあなた
     カール・ブッセ
     上田敏訳 『海潮音』より



山のあなたの空遠く

「幸さいはひ」住むと人のいふ

噫ああ、われひとと尋とめゆきて

涙さしぐみ、かへりきぬ

山のあなたになほ遠く

「幸さいはひ」住むと人のいふ

Über den Bergen
          Karl Busse

Über den Bergen weit zu wandern
      Sagen die Leute, wohnt das Glück.
      Ach, und ich ging im Schwarme der andern, 
kam mit verweinten Augen zurück.
Über den Bergen weti weti drüben,
Sagen die Leute, wohnt das Glück.


けさ目が覚めてふと思ったことを書き留めてみます。

目が覚めたとき「やまのあなたのそらとおく」というフレーズが浮かびました。
どうしてなんでしょう。
それは今まで自分の環境に「幸せ」を感じていなかったせいでしょう。

昨夜2時に私のベッドの横に子供が横になっていたのです。私が目が覚めたとき子供は寝苦しそうにフンフン言っているのです。私は夜中に起きてもすぐに眠れるとどおってことはないのですが、そのとき何かがあって眠れなくなると朝早く起きれずラジオ体操に行くのが間に合わなくなります。

フンフンと痒がっているのは小5の女児。幼児のときはこうゆうことは毎晩のことでしたが、もう夜はほとんど起きないといっていたのに冷房を入れていたにもかかわらず暑かったのでしょう。背中背中というので軽く撫でてやると寝始めたので私は別の部屋に移って暫くパソコンをあけて読んでいたら、その部屋にやって来て子供は横になりました。そしてスースー寝息を立てて眠り始めました。


夏休みにこちらに滞在して母親は先に帰ったので夕べからは私が世話をすることになりました。体調が本当でない私は最低限のことしかしてやれないけれど、あちらに帰って1日中一人で過ごすよりいいかなというのでいつも私のところに居残るのです。


夕べ寝る前に女性のメル友から突然電話が掛かりました。私が畑に西瓜ができていると書いていたので、良いね、良いねというのです。西瓜が大好きなのに今は高いよ。近くだったらもらいに行くのにと悔しがるのですが、和歌山県から四国までは遠いです。

本来なら娘と孫と3人で西瓜を堪能するだろうけど、最近子供は胡瓜科の食材を食べられなくなったらしく西瓜もだめとのことで、可哀想だからと娘も西瓜を食べずに帰って行きました。メル友は孫との暮らしが羨ましいらしくて、またいいね、と連発します。


そうなのかなぁ、外目には私の暮らし良いのかなあ、と改めて思いました。いつも他人に言われて自分の境遇を感じる私なのです。いつもどこか遠くに幸せを求めている自分。他人のことで自分にはない面を見て、いいなぁと思っている自分がここにいます。他人から見て、いいなと思われることがあることを自覚していない自分。だからこの詩が浮かんだのでしょうか。



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by kei9594wa1576 | 2015-08-17 11:22 | エッセイ | Comments(0)
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花鳥風月を写真と俳句に


by 笹嶺霧子
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