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心を知ったとき

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photo by S.Hashizume

私はそれまで心というものが人を支配しているということを意識していなかった。
それにその日その日のことで精一杯で悲しみさえ哀しみとは受け取らず、それを解消しようと奔走するエネルギーに変えていた。

子供が幼児期、学童時代、思春期だったからかもしれない。
現実的な心配ごとと腹立ちだけが群を抜いて日々の生活の中に現れた。

ここ15年ほど前にネットという世界を知った。
ネットでは顔の見えない人と出会い、心で交信するようになった。
またネットの中の人が書く創作の中では心を読むようになった。

それまで現実的なことしか考えていない日々を送っていたけれど、喜怒哀楽すべてを哀愁というヴェールを通して見るようになった。

事実を悲しむのではなく、「心が傷む」という精神状態が常に自分の中に存在している。

すれ違う幼児を見て、可愛いと思うだけでなく、幼い者へのいたわしさを感じる。

若いとき夫が自分の甥を自転車に乗せて我が家に来ていたころがあり、その後彼が我が家の主になったとき、甥のことをいたわしいと言ったことがある。

何も悲しむべきことはないのに可愛いと言わず、なぜいたわしいというのか私にはその気持ちがよくわからなかった。

今頃になってその気持ちがわかるようになったとは…、夫は亡くなっているが、夫の心と比べると私は何十年も遅れているような気がする。

派手なことを好まず、病気をして誰も来ずひっそりと過ごすようになった15年間は自分の心と向き合って暮らしていたに違いない。

人は誰でも愛することはできるが、心を共有することはなかなかできるものではない。

現に今の私は自分と心を交わす人はいない。
自分の心と向き合うには詩を書いたり俳句を詠んだりするときだけだ。
そしてそれを媒体に他人と話をするときでもある。
しかもそういうことを話せる機会は希少だ。

創作とは老後の孤独も耐えさせてくれる貴重な作業だと思う。

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by kei9594wa1576 | 2015-11-21 17:52 | 最近思うこと | Comments(0)

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